日本の観光

新登場

日本の観光(にほんのかんこう)では、日本国内で行われてきた観光について述べる。

日本の観光

江戸時代の旅

中世期において人の移動は活発でなく、戦国期には戦国大名など地域領主の領国内には関所が設置され、人や物の移動は制限を受けていた。一方で公家や僧などの文人は諸大名家への来訪や廻国などを行い、各地の名所を訪ね記録資料を残している。

近世・江戸時代の幕藩体制においては引き続き関所や口留番所が存在し人の移動は制限されていたが、一方で江戸期には全国の諸街道や脇往還、水運や海運が発達し、旅行者向けの国絵図や道中案内記などの出版物が生まれ、これらを背景に旅が大衆化する。

江戸期には文人や武士なども諸国を旅し多くの紀行文を残しているが、庶民においても身元や旅の目的を証明する通行手形を所持していれば寺社参詣などを名目として物見遊山の旅が可能になり、旅を楽しむ人々が急増した。街道添いには旅人向けの宿場や茶屋が成立し、各地で名物の物産が生まれた。また、旅の情報は旅日記や浮世絵などの絵画資料により普及した。江戸時代には御師が庶民に伊勢信仰を広め、お蔭参りの大ブームが数回発生した。これらは現代でいう観光産業の先駆けともとれる。

江戸時代は鎖国が取られており、漂流者などを除いて外国に渡航する日本人はいなかった。観光目的の外国への旅は皆無であった。

近代から高度経済成長まで

近代には幕藩体制の解体、鉄道・汽船などの交通・物流網、情報の発達で国内の移動が容易となり、旅の情報も普及し観光を目的とした旅行は活発になり、日本各地で観光や保養を目的とした地域づくりが生まれ、観光は産業化する。国内の遠い地方に旅行することが容易になり、満州、中国本土など近隣の国外への観光旅行も行われるようになった。

幕末に日本は開国されたが極東に位置していたことと、島国という条件、当時の日本への渡航手段は時間のかかる船しか存在しないという技術的問題により、日本への外国からの訪問者は少なかった。それでも、1899年に内地雑居が実施されると、外国人も日本国内で自由に旅行ができるようになり、1912年には日本交通公社が設立された。

第二次大戦間での海外への渡航者は、主に移民や留学生であり、海外旅行は一部富裕層に限られていた。また、訪日する外国人も、政府が雇ったお雇い外国人や、中国大陸・台湾・朝鮮半島など、比較的近隣で時間的・金銭的に来日しやすいアジアからの移民や留学生が大半であった。

戦後、観光産業は一時落ち込むが、戦後復興とともに所得が増加し、鉄道・道路など交通機関のさらなる進歩、出版物やマスメディアによる旅の情報のさらなる普及により観光業が発展した。戦後には特に観光農園など地域の地場産業と組み合わせた形態の観光業が発達する。

高度経済成長

海外観光

日本は高度経済成長によって、日本人の観光は大きく変化した。国民の所得は増加し、1964年海外旅行が自由化されたことにより日本人が海外に出国するのは容易になり、それまでは富裕層でなければ難しかった海外旅行は、庶民の手にも届くものとなっていった。

現在、日本は世界有数の観光赤字国である。日本人の訪問先は海外旅行自由化直後はテレビ番組などの影響でハワイが一番人気であったが、その後世界各地に広がり、近年では日本人観光客がいない観光地を探すことの方が困難である。最近の傾向として、近場では、中国、韓国、東南アジアが人気で、北米、ヨーロッパがそれに続いている。また旅行の形態も、エコツーリズムや秘境探検、クルーズなど多様化の一途をたどっている。

訪日外国人は増加しつつも出国邦人に比べれば少なく国土交通省はビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)、観光庁設置などで訪日観光客の増加を図っている。近年、日本に観光しにくる外国人は増加し続けており、中でも韓国や中国、台湾など東アジアからの旅客車が増えており、彼らだけで訪日者全体の半数を超えている。政府や地方自治体は、彼らの観光誘致に力を入れ始めている。

国内観光

国内観光は新幹線や高速道路網の整備により国民の移動が容易になり、シーズンごとに各交通機関や観光地は余暇を過ごす国民で混雑する。

戦後の混乱から脱し、高度成長期に入ると人々の暮らしにもようやく落ち着きが戻り、温泉地等の観光地には人々がごった返した。熱海温泉、鬼怒川温泉、別府温泉等の歓楽地型温泉では旅館ホテルの巨大化が続いた。一方、大阪の万国博覧会を契機に各地で博覧会が開催された。その後、東京ディズニーランド(TDL)の盛況にならって、各地に外国や童話等をテーマとしたテーマパーク建設が相次いだが、TDLとUSJ以外はいずれも不振である。バブル期は総合保養地域整備法(通称リゾート法)の制定もあり、各地にゴルフ場、リゾートホテル、マリーナ等が計画されたが、バブル崩壊により一部の施設以外は、不振が続いている。

日本の観光の評価

日本の観光の競争力は評価されるようになってきており、世界経済フォーラムの2009年度版「旅行・観光競争力リポート」では日本は25位に位置づけられ、観光大国イタリアの28位を上回った。

観光資源

日本には、風景、自然、文化に富んだ観光資源が多々あり、観光資源となっている。

  • 国立公園
  • 国定公園
  • 日本の世界遺産 – 16箇所の遺産が登録されている
  • 国宝
  • 重要文化財
  • 日本食-海外から見ると日本の食文化は特色があり重要な観光資源である
  • テーマパーク
  • 日本画 – 美術館
  • 神社、寺院
  • 日本の城一覧
  • 日本の観光地一覧
  • 日本のホテル一覧
  • 温泉
  • 重要伝統的建造物群保存地区

統計

日本において、観光に関する統計データとしては、国土交通省が実施しているもののほか、業界団体等が実施し、発表している。それぞれの自治体においても、統計をとり、毎年、発表している。また、大手旅行会社でも独自にデータをとり、予測も含めて一部は発表されている。

観光に関する統計は、「入込客数」と「消費額」とに大別される。「消費額」は「入込客数」と単価との積で求められる。入込客数は、地域内客と地域外客あるいは宿泊客数と日帰客数とに分けられる。さらに、地域外客の発地別内訳も調査項目に含む。消費額は、宿泊、飲食、土産、その他に分けられ、単価と総額(消費額)とが発表される。ただ、これらの統計は、あくまでも「推計」に留まっているのが実情である。

観光統計の問題点

観光に関する統計は、整備が遅れているうえ、信頼性も他の経済統計に比べて低いのが実情で、多くの問題点を抱えている。

  1. 年単位のデータが主体であり、月単位のデータは限られる。(その結果、データをもとにした適時の政策が実施しづらい)
  2. 統計作成の際に実施主体で独自の手法を用いる場合があるなど、汎用性が欠けており、地域間等の「横」の比較には注意が必要である。
  3. 観光客の吸引構造に変化のあった場合にも、推計方式の見直しが的確に行われにくい。(見直した際に、過去のデータにさかのぼって更新する等の接続性の確保が求められる)
  4. サンプル調査によらざるを得ないことが多いが、一般に回収率が低く、信頼性に欠ける。

このように整備が遅れているのは、主として下記の理由による。

  1. 観光の概念そのものが定まっていない。
  2. 観光関連産業には、許認可を要さない業種も少なくなく、把握が困難であった。
  3. 観光関連事業者に統計作成のため申告を求める場合、正確性に疑問が生じる。(特に消費額の場合、個々の事業者の売り上げに直結するデータであるため、正確な申告が期待しづらい。)
  4. 指定統計となっていないため、拘束性がない。

こうした状況に対し、観光を一つの重要な産業に育てていくという観点からもその整備が求められている。国土交通省では、2006年度から宿泊統計調査を行っている(ただし小規模・零細な施設は除外)ほか、消費、宿泊、入込についての観光統計の整備を図っている